沿革
昭和46年(1971年)3月に「米沢内科病院」として開業。草創期より人工透析治療に携わっております。現在は内科に加え泌尿器科、整形外科等それぞれの専門領域で診断、治療が可能となりました。
当院は一般病床(57床)、療養病床(42床)のケアミックス型の病院で、住環境に恵まれた山口県のほぼ中央に位置する防府市のJR防府駅より東側300mにあります。地名は車塚町といい、近所の妙見神社には、市の文化遺産に指定された「車塚古墳」があり、歴史的情緒あふれる場所です。当時の車塚町は、警察署、市立図書館、市役所、県立病院に加えて、郵便局、日本電信電話公社(現在のNTT)等のある官庁街でしたが、昭和40年代に入るとそれらが次々と移転し、現在は防府で指折りの歓楽街となっています。
病院名「桑陽」は、創業者が在籍していた中学校の校歌から発想を得た、防府の古い地名と聞いています。
創業者米澤昭人は、山口大学教育学部附属防府中学校に在籍していました。
同校は、1947年(昭和22年)の学制改革の際に防府市桑山にあった山口青年師範学校の附属中学校として発足。
1949年(昭和24年)新制・山口大学が発足した際に、青年師範学校の学舎に教育学部防府分校が設置されました。
2年後の青年師範学校廃止に伴い、附属中学校は「山口大学教育学部附属防府中学校」に改称。
1960年(昭和35年)に附属山口中学校に統合されるまでの10年足らずの中学校でした。
その校歌を記します。
一、桑陽の松のみどりに 照り映えて匂ふが如く
三百の若人つどい ひたぶるに道にいそしむ
あゝあゝ付属中学校
二、佐波の瀬に霧ふかくとも ゆかしさと希望にみちて
大いなる世紀の朝を ひとすじに呼びてひらかん
あゝあゝ付属中学校
三、夕月は花にかおりて 鎮もりし文化のうてな
友どちよしらべもたかく ひとしおに母校をうたえ
あゝあゝ付属中学校
昭和46年3月 | 創業者米澤昭人が米沢内科病院開設(31床) |
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昭和47年7月 | 49床に増床 |
昭和48年4月 | 48床に減床 |
昭和55年8月 | 73床に増床 |
昭和56年4月 | 泌尿器科開設 |
昭和57年9月 | 医療法人米沢記念設立。桑陽病院へ名称変更 |
昭和61年8月 | 121床に増床 |
昭和62年5月 | 救急告示病院の認定 |
昭和63年10月 | 135床に増床 |
平成11年11月 | 新本館竣工。121床に減床 |
平成14年4月 |
米澤孝仁病院長就任 三村寛医師就任。整形外科を開設 |
平成14年6月 |
病床種別の変更届出。一般病床45床、療養病床76床 |
平成22年5月 |
藤本英明医師就任。整形外科2診体制に拡充 |
平成23年4月 |
消化器専門医、川野豊一医師就任 |
平成24年3月 |
西館竣工 脊椎脊髄病センター開設。 1.5テスラ磁気共鳴画像診断装置(MRI)設置導入 一般病床60床、療養病床61床に減床 |
平成25年3月 |
一般病床60床、療養病床48床に減床 |
平成27年4月 |
泌尿器科 小西基彦医師就任 |
平成27年5月 |
米澤孝仁理事長就任 |
平成27年7月 |
診療オーダーリングシステム導入 |
平成29年4月 |
糖尿病専門医、福田尚文医師就任 |
平成30年6月 |
X線CT診断装置16列から80列に更新 |
令和2年4月 |
一般病床57床、療養病床42床に減床 |
令和3年2月 |
電子カルテシステム導入 |
令和3年8月 |
新型コロナウイルス感染症病床6床開設 |
令和4年1月 |
内科 米澤奈緒子医師就任 |
令和4年7月 |
地域包括ケア病床(8床)開設 |
令和5年5月 |
整形外科 赤川誠医師就任 |
令和5年7月 |
泌尿器科 是永佳仁医師就任 |
令和6年6月 |
全病床電動ベッドに入替 |
令和6年8月 |
電子カルテ連携調剤システム・調剤監査システム稼働 |